間違った霊的修行法22004/03/15

(昨日の続き)

具体的に書いてみよう。瞑想していてあるヴィジョンが見えたとする。まず第一段階はこれが霊視能力に由来するものなのか、幻覚や記憶像といった非霊視像によるものか認識できるようになることが重要である。

仮にそれが霊視体験だったとして、瞑想状態から通常の意識にもどったとき、それを修行者が思考している構造を意識化できるかということが次に重要である。

たとえば瞑想から出てきてそのときの体験を想起したり語ったりする。霊視体験はあくまで霊視体験であって、非日常的な知覚能力を使っての体験である。しかしその霊的体験を誰かに語ろうとするとき、意識に現れるのはあくまでも非霊視的で日常的な表象や記憶像を使って、この世の言語(日本人なら日本語)でしか語らざるをえない。つまり霊的体験をこの世の言語形式に翻訳してからしか、体験内容を語ることができない。こういう意識構造を意識化できていないと、表象内容や記憶像を霊的事実だと思いこんでしまうことになる。これも「魔境の境地」のひとつだ。ほとんどの自称霊能力者や霊的修行者はここのところがほとんど分かってない。

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