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シュタイナーの認識論の核心

ルドルフ・シュタイナーの最晩年の重要な講義に『霊学自由大学第一学級のための秘教講義』というのがある。聴講資格を厳しくし、限られた弟子だけにおこなった講義である。全部で18回行われた。この講義はあまりにもエソテリックな内容だったため、シュタイナーの死後も長らく講義録が一般公開されなかった。

昨日今日と、世界的な人智学者である高橋巖先生から、これをテキストにした講義を受けた。日本人智学協会会員限定で、17回目の講義である。内容をここで書くことはできないが、シュタイナーの神秘学の根幹に触れられてとても勉強になった。その根幹というのはシュタイナーの認識論の根幹である。シュタイナーは学位論文の『自由の哲学』を皮切りに、数多くの認識論を語った。以下に書く内容はそれらの著作を通してある程度知っていたことであったが、今回高橋先生の講義を受けてそれが自分の中で明確に整理されたので少し書いてみよう。

20世紀前半以前の学問には、「学問は真理を探究するものである」という価値観が広く受け入れられていた。それが学者の基本前提だったのだが、20世紀後半にはそういう価値観が全く否定されてしまった。

何らかの現象を人間が知覚する。知覚内容は生物学的な知覚強く依存しているが、それだけではなく、過去の経験や・好き嫌い・興味・文化・思考のパターンと深く結びついている。それは現象を捉えたものではなく、そういった知覚や認識のフレームから恣意的に知覚内容を「構成し」、さらにその構成された知覚内容に、人間が意味づけを「構成して」認識が完了する。つまり認識内容は現象自体を知覚して認識したものではない。

20世紀後半には、こういう社会構成主義的な考え方が一般的になってしまった。

さて、このような考えだと、構成された認識内容は個々人の恣意性にゆだねられており、現象そのものを認識
したものではない。逆に言えば人間は現象そのものを認識することはできない、カント的にいうならば「物自体は認識できない」。しかし神秘学的な認識論はそれを超えていく。

シュタイナーの考え方によると、我々が通常の認識(現象の物質的側面の認識)によって得られる知覚像は、構成主義的な立場とほぼいっしょである。違いはそこから先である。構成主義的な考え方の基礎には唯物論が前提としてあり、現象と人間の間には知覚という壁で閉ざされているのが前提だ。そこから先はない。しかし神秘学ではそれは人間の肉体的知覚を前提にしたものであると考える。つまりそういう前提自体も「構成された」ものなのだ。物質的現象の背後には霊的現象があり、それを分離して認識してしまうのは人間の通常の知覚-認識システムによるものなのである。現象の物質的側面の認識内容は仮象であって、その仮象を破壊し、人間の認識が霊界参入したときに現象の真の認識が得られるとするのである。

こういう発想は正しい瞑想をしていればすぐ気づく。我々が日常生活をしているとき、自分の思考内容を観察することはあまりないだろう。学者が何かについて考えを巡らしていても、その思考内容と思考そのものが別だという体験をしたことがある人は少ないと思う。しかしただしい瞑想をして深まってくると、思考内容と思考そのものが分離し、思考内容や思考像、思考の志向性を観察している思考状態になる自分を発見する。ここでいう「思考内容や思考像、思考の志向性」が実は仮象なのであって、それを観察している思考状態における知覚が真の知覚なのである。シュタイナーはこいういった認識状態になることを霊界参入と言った。

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