霊性学に感銘12004/09/29

もともと読書好きな上に、本を読むのも仕事のうちということもあって、毎月たくさんの本を読む。しかし人生の肥やしになる本と出会えるのは年に数冊である。その数冊のうちに含まれる最近の本といえば菅原浩氏の『魂のロゴス』だ。

菅原氏は長岡造形芸術大学の助教授で、表象文化論、神話学、比較宗教論を研究されている学者なのだが、単なる文献学者ではなく神秘学をひろく実践されているようで、霊性学というのを提唱されている。霊性学については霊性学入門というサイトで紹介されている。また日々の実践録がブログサイトSpirit, Soul & Bodyにつづられている。霊性学入門のサイトに書かれている。霊性学の内容は、私がずっと取り組んできた視点とほぼ同じでおどろいた。ブログサイトの方は日々の実践について書かれており、思索の断片としても情報源としても非常にすぐれていると思う。

菅原氏の『魂のロゴス』はHPで知り、買ってみた。本の話は霊性学を研究する学者と、霊性学に興味を持っている男女二人が、宇宙と叡智をめぐって対話で進んでいく。哲学や宗教の神学的論争をふまえながら、人間の霊性について語られて行く内容が鋭くて新鮮だ。

たしかに、世界がこのように見える、ということは、世界そのものがそのように実在して、それを「ありのまま」に写し取ることによって見えている、というわけではないのはもちろんだろ。それはカント以来の常識だからね、世界がそのように見えるのは、むしろ私たちの精神構造がそのようになっているからであって、本当にそのままの形で世界が実在していることは証明できないわけだ。このことは認知科学によっても確認されたと考えていいと思う。ここでもう一度言うが、「脳」は問題ではないんだよ。脳は存在するものの次元であって、存在そのものを問題にしている場面で問題にするのはカテゴリー・エラーになるからね。つまり、すでに分節が終了した世界においてある現象の一つを持ってきて、その分節そのものの生成について論じるのはまずいんだ。(中略)つまり、分節とは、心でも物でもない。それは存在の展開であり、認識の展開である。別の言い方をすれば、「意識場」の展開といってもいいわけだ。(P73)

カテゴリーエラー云々以降の部分などは東洋の神秘哲学では世界的学者だった井筒俊彦先生の論文を、実体験と照らし合わせて理解しないとなかなか出てこない表現だ。

意識と世界とを対置して考えようとする思想は、袋小路に入る。なぜそういうふうな発想しかできないのかといえば、それは単純に、そういう人は、ふだんは隠されている魂の無意識部分を「知覚」するという経験をまったく持っていないし、そのような可能性は考えたこともない、ということだろう。それは個人的な限界であると同時に、文化的な限界でもある。自我意識から出発することをあたりまえだと思ってしまうのは、人間が「無限」の感覚を失った結果だ。(P76)

うーん、明晰で鋭い表現は悔しくなるくらいである。商売柄、神秘学やニューエイジ系の本をたくさん読むが、神秘学の根本的立場をこのように明晰にさらりと述べる記述はほとんど見かけない。アカデミックな作業を積まないとなかなかこういった表現は出てこないだろう。

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