厄払いに行ってきた2005/01/30

今年は厄年なので、西宮にある門戸厄神に行ってきた。私は儀式と制服が大嫌いで気乗りはしなかったが、関西では厄除けで有名なお寺なので散歩ついでに行ってきた。

おきまりコースとしては1万円でご祈祷してもらい、厄除けの煎餅または饅頭を買って帰って周囲の人に配る。厄除け煎餅もしくは饅頭、他にはぜんざいなどを周りの人に食べてもらうのは厄をみんなで食べてもらうというものだ。食べさせられる方は、いい迷惑だと思うのだが・・・

先に書いたように私は儀式嫌いなので、ご祈祷はパス。お賽銭を100円はずんでご本尊様に手を合わしてきた。まあこれでも昔は密教行者のはしくれだったので、ご祈祷くらいしてもらったらと思う。でも神秘学を勉強してからは「そんなところに宗教的価値はない」という考えに至るようになったら、お願い事をするという気持ちは起こらなくなってしまった。最近ではどの神社仏閣へいっても、ご祈祷・お願い事はしなくなった。ご本尊様、御神殿に手を合わせて「こんにちは」とごあいさつするだけだ。ただしごあいさつにちょっとしたコツがあって、その神社仏閣の持つ霊的雰囲気に意識を没入させる。一種の瞑想だ。

この瞑想は、お寺よりも神社でやる方が好きである。大和の古い神社に行けば日本神話や万葉集の時代の情景が浮かび上がる。大和にはアニミスティックなイメージを喚起する神社がいくつかあるからね。護国神社に行けば日本のために死んでいった若者たちの思いがわき起こって厳粛な気持ちになる。

それに対してお寺はわき上がるイメージが貧弱だなあ。東大寺や薬師寺・唐招提寺にいっても、遠い昔の学僧たち求道精神のイメージが湧くくらいだ。密教系のお寺だとご祈祷に訪れる人々の欲望がイメージされるのでまったく面白くない。

日本神話は日本の土地に宿る霊のメタファーなので、より肉体に働きかける力が強いのだろう。それに対して仏教は人間の理性にはたらきかける傾向の強い宗教だ。物質界否定の宗教だからねえ。人智学で言うと、神社はエーテル体に、仏教はアストラル体に働きかける作用が強いと思う。スピリチュアルの方向性が明らかに違う。

お参りが終わってから厄払い煎餅と饅頭を実家のおみやげに買った。あくまでもおみやげで厄払いのためだという気はまったくない。

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