才能と神経症的生き方(2)2005/02/19

他人から見ればその人には全く向いてないのは明らかなのに、自分では向いていると思っている人はまず自己分析ができない人である。自己分析なるものが可能かどうかという臨床心理学的・神秘学的大問題はとりあえず言及しないでおくが、通常はその仕事をしていてうまくいかなければ「自分に向いているのだろうか?」と自問自答するはずだ。こういう疑問が湧かないのは、天性の才能を持っていて苦労が自然と報われる天才か、全く向いてないのにそのことが分からない神経症的人間かのどちらかだ。後者の場合、貧乏でも自分で生きていけるのならそれも人生だが、もっと違う生き方があるんだということを知ろうとした方がいい。でも多くの人はその勇気がないんだよね。

私は人智学を勉強してかれこれ20数年になる。20年ほど人智学運動に関わっている人を見てきたのだが、実にユニークな人生を歩んでいる人が多い。社会のエリート競争からドロップアウトして自分のしたいことをして生きてきた人がほとんである。自分のしたいことをしてきたのだから苦しい生活をしている人も多い。でも日本という国は不況といってもやはり裕福な国なのだろう。好きなことをして人生楽しんでいる彼らの中で、餓死したという人はいないから。貧乏でもなんとか生きていけるのだと思う。貧乏でも彼らは彼らなりに天職についているのだろう。こういう生き方は非神経症的で幸せな人生だと思う。

それに対して自分に向いていないことを向いていると錯覚して事がうまく運ばす、人生の迷宮に入り込んで抜け出だせない神経症的人間は不幸だと思う。こういう人は神経症的であることを楽しんでいる気もするが・・・

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