神秘学としての中国医学2005/03/17

なんだか書くパワーが小さくなっていたので、更新を一月ほどおこなっていなかった。このブログをおもしろがって定期的に読んでいてくださる方もいるようで、もうちょっと書く頻度をあげたいなあ

以前、中国医学を理解するためのポイントという記事を書いたが、そこで紹介した原稿のうち、雑誌に採用された方の原稿を以下に載せてみます。人智学協会の友人から、「ちょっとむずかしいねぇ」といわれた。原稿用紙5枚という制限だったので、ああなってしまった。このブログに載せるのに加筆しようかと思ったが、時間があまりないので、そのまま載せます。そのうち気が向いたら、問題としていることをひとつひとつ、とりあげて解説します。

 ----------- 以下採用原稿 ------------

人智学の観点から中国医学の古典を読んでいくと、時代をさかのぼるほど神秘学的に芳醇な人間観・医学観を見つけることができる。道教系の医学書になってくると、神秘学の修行にも直接的に言及している。古代中国の神秘学の思想を、現代人にもイメージしやすくとらえ直し、役立つような形で再提示していく必要があるように思う。ところが現状はきちんとした医学理論を無視して「気」どうのこうのという怪しげなヒーリングや修行などが流行したりしていて、専門的に学んだ私としては非常に残念である。その最大の原因は中国共産党の政治思想の制約から神秘学的な研究が許されなかったからだと私自身は考えている。ここでは中国医学を神秘学的に読み込んでいくポイントをいくつか記してみよう。

中国医学を神秘学的に読み解く第一のポイントは存在は気から成り立っているという思想を存在論的にどうとらえるかという問題である。気とは存在を本質と存在の形態という観点から見たとき、存在の形態に相当する概念である。本質は太極とよんでいる。気と太極の関係はアリストテレスの質量因と形相因に相当するものであるが、人智学ではエーテル界の概念と気の概念の関係を存在論的観点からどう解釈するかを考察する必要がある。

第二のポイントは、「存在は気から成立している」という思想から、自然界は一元の気として成立している(気一元論)という考え方が出てくるが、これをどう解釈していくかという問題である。これには二つの重要なポイントがある。ひとつは認識論的な問題で、存在を気一元としてとらえることができるのは、東洋の基本的な神秘学思想に通底する主客合一体験という、われわれの分別をいったん放擲した後に獲得できる認識だけであるのだが、これをどうとらえるかという問題。もう一つは気一元として自然界をとらえる場合、自然界全体と個物の関係性をどうとらえるかという問題。現代の思想でも世界は個物の積み重ねによって成立しているという要素論的な思想は衰退し、個物が関係しあって全体として意味があるという全体論的な思想が優勢になりつつあるが、これを気一元論としてどう考えていくかという問題である。中国医学では特に人間と自然との関係性を気一元という観点から実に詳細に体系づけられている。

第二のポイントから「大宇宙としての自然」と、それに照応する「小宇宙としての人間」との関係を、具体的にどうとらえていくかという第三のポイントが出てくる。たとえば中国医学では、季節や生きている土地に応じた身体をしているのが、健康的な肉体の姿として考える。春には春の身体に、夏には夏の身体に、温帯気候の土地で生活している人はそれ応じた身体に、砂漠気候の土地で生活している人はそれに応じた身体になっているのが健康的な肉体の姿だと考える。いわゆる身土不二の思想である。

第四のポイントは第三のポイントの「大宇宙と小宇宙の関係性」を具体的に観察するする詳細な技術が中国医学にはあるということである。それは中国医学の四診という診察法である。四診とは望診・聞診・問診・触診を指す。四診、特に望診と触診のポイントは、各種診察部位は人体という大宇宙と照応する小宇宙であるという発想を元に診察体系が組み立てられている。つまり小宇宙としての診察部位から、身体という大宇宙と自然界という大大宇宙の関係性を診察するのである。

第五のポイントは第四のポイントの診察法をどのような観点からとらえていくかである。この基本が有名な陰陽という二分割法と五行という五分割法である。陰陽は主として人体を二分割して観察するのに使われる。たとえば背中側と腹側、上下・左右・浅深などである。五行は五蔵(肝心脾肺腎)の気と、病気の原因である五邪(風熱湿燥寒:これに暑を足して六邪にすることもある)に対応させる。五蔵は解剖学的な観点としての五蔵だけでなく各蔵の持つ機能を5種類の気として捉える。これは五蔵に対応した五種類のエーテル体と考えることができる。

以上、非常におおざっぱではあるが、中国医学を神秘学として考えていく際のポイントを思いつくままに列挙してみた。中国医学は神秘学として深めていくのにきわめて実践的な体系を残している古い思想だと私は思っている。しかしそれを現代の神秘学の問題として再提示されたことはほとんどないように思う。それを果たすのは人智学徒の課題ではないだろうか?
 

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