政治への目覚め2010/02/15

前回の「ファシズムの先兵となる日本の人智学運動(1) (2010/02/10)」の記事は、何人かの友人にも読んでいただいて、少しだけ反響があった。基本的に週1くらいで更新できたらと思う。

私が政治に興味を持ったのが2~3年前で、理由はいくつかある。

決定的だったのは長野の聖火リレーである。留学生を中心とする在留支那人が、明らかに軍事訓練を受けた多数の工作員の統括のもとに、チベット支援グループや反支那派の日本人にたいして殴る蹴るの暴行を行った。ところが多数の警官の前でそれが行われていたのにも関わらず、彼らを取り締まらなかった。それに対して日本の大手マスコミはその事をほとんど公にせず、当時外務大臣だった高村正彦がその日の夜に「警察がよくやってくれた。支那人もチベット人も逮捕されず…」などと、ぬけぬけとテレビで嘘を言い放った。

当時の状況は、日本の若者がネットで生中継していたし、後日支那人の暴行をアップしてくれたので、マスコミや政府見解が大嘘だというのが分かったのである。ネットを見ていると、この事を期に、日本の政治状況に目覚めた若者が多かったようである。

これは仕事上のことだが、うつ病や過労などで来られる患者さんが最近めっきり増えた。日本の社会状況がそうせしめているからだ。微力な一鍼灸師ができることは限られている。しかし、ことの本質を知らねば治療が広がらないと感じた。日本人はもっと多様な人生があることを知る必要があると思う。

子供が二人出来たのも大きな要因のひとつだ。子供の未来のためにどういう日本を作っていくかは、大人の大きな責任のひとつだ。また、どんな状況に日本がなろうとも、日本の正しい伝統と文化と歴史を教えておいてやる必要がある。戦後の大人たちは近代史で大嘘をついてきたのを知ることができたし、なぜそのような大嘘を作ったのかも、構造がだんだん見えてきた。それらに毒されないように、こどもたちにワクチンをうっておく必要がある。

もうひとつは神秘学と社会論を考える機会が徐々に増えたためだ。私のスピリチュアルな人間関係にも、社会論が大きな話題のひとつなのだが、時代の最先端を行っているはずが、実はそうではなないのではないかとも思い始めている。

私の20代前半はバブル真っ盛りで、学生運動や労働者運動なんて、社会主義と同じ古くさい遺物だった。バブル崩壊後も、新しい労働形態を見つけようとしていて、SOHOや国家に依存しない生き方なんてことが模索されていた。政治は蚊帳の外だった。それが今ではどうだ。世の中の状況がまったく変わってしまった。何を考えるにしろ、政治と安全保障の問題を考えざるおえない状況になっている。しかし私より上の世代は、戦後民主主義・東京裁判史観・自虐史観に犯されていて、時代状況をきっちり把握できていないというのが現状だろう。特に我が友、人智学徒たちは。彼らの多くは長野の聖火リレーで起きたことの重大な意味に気づいていない。今の人智学徒より、政治に目覚めた20代の若者の方が時代状況を、的確につかんでいると思う。

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