はじめての土手焼き作り

本日、木曜日は仕事が午後からの日である。昼前までのんびり過ごすことが多いが、昨日天満市場で牛スジを500gを仕入れてきたので、土手焼きを作った。本格的に作ると、ことこと1時間以上煮ないとだめだが、圧力鍋だとすぐ煮えるのでありがたい。

レシピはインターネット上にあるものをいくつか参考にして作ったが、ダシの分量が多すぎた。これは私の家で使っている圧力鍋に原因がある。この圧力鍋はタッパウエアで購入したのだが、製造はドイツWMF社だそうだ。安手のものとは圧を逃がす構造が違う。安手のものは分銅状のおもりがあって、蒸気を勢いよく逃がすが、タッパウエアのものはピストン状のものが内蔵されていて、あまり蒸気が逃げず、水分の蒸発が少ない。ちなみに定価は44000円(5L)だ。結構高いのだが、以前使っていたおもり式のものよりずっといい。同様のものは、ティファールで有名なフランスのセブ社や、アメリカのビタクラフト社から出ている。

実はどて焼きは初挑戦だったのが、結構おいしくできた。モツ系のものはヨメはあまり好きではないが、旨いといってくれた。カツオと昆布のダシの量に悩んだがケチらない方が上手くできあがるようだ。カツオのけずり節は20g使ったかな?

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御利益その2

お伊勢参りの御利益その2は純粋に治療技術のことである。

初日に膝を痛めたのは「御利益その1」で述べたが、翌朝出発直前にテーピングをしたのである。

テーピング方法にはいろいろな流儀がある。今回はキネシオテープを使ったのだが、本来とは違った使い方をした。膝の外側用の方法は、本来の方法に従って、5センチ幅のテープに両端からはさみを入れて、X型にしたた。、ただし、これだけだと両端が剥がれやすい。そこで両端をとおって、それぞれ一周する2.5センチ幅のテープを作って強めに巻いたのである。

しばらく歩いていると、ぐるっと一周まわして貼り付けたテープが膝に与える感じがよい。「これって、テニスエルボーバンドと同じ理屈じゃないか?」ってひらめいた。

テニスエルボーはテニスをよくする人や手首をよく使う人がなる疾患で、上腕骨外側上顆炎ともいう。肘の上外側、上腕骨の外側上顆から手の背部につながっている伸筋群に負担がかかりすぎると、上腕骨外側上顆から、伸筋の肘に近い部分に炎症が起きて痛む。これを治療するひとつとして、テニスエルボーバンドを使う。マジックテープの一部にクッションがついているようなものを思い描いていただくといい。肘から掌に向かって数センチの所に巻くと、力の力点が変わって外側上顆についている伸筋腱の負担が軽くなる構造である。

まあテーピングをしょっちゅう使っている専門家には当たり前かも知れないが、新鮮な発見であった。

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御利益その1

7/16~7/17に一泊して伊勢本街道の榛原から伊勢奥津まで歩いた。歩行距離は両日で45キロほどか。山友ともだちがお伊勢参りを数回に分けて歩く企画をしたので、それに便乗したのである。一日の歩行距離が20キロちょっとだし、本格的な山道もなく、峠越えも知れている。登山を趣味としている人間ならたいしたことがない行程だ。しかしひさしぶりに歩いたからか、膝を痛めてしまった。

痛みをす少なくするために、歩き方をいろいろ工夫していると、治療上の気づきがいくつかあった。これはお伊勢様の御利益か?

痛めたのは右膝の外側側副靱帯である。ここを痛めた原因は二つある。私はもともと扁平足で下肢の内側に力が入りにくい筋肉の付き方をしているので膝へかかる上からの力が外へ逃げがちになる。そうすると膝の外側に負担がかかる。これが原因のひとつ。もう一つは筋力低下で、下肢の筋力が弱いと膝が不安定になる。そうすると靱帯へ負担がかかる。両者がかさなって、右膝の外側の靱帯を痛めたということであろう。

今までは、歩くときに足先は外側へ向き、力も外側へいきがちだった。そのようにして歩いて膝を痛めたので、足先をまっすぐ気味に、着地は踵の外側、蹴るときは親指側、両膝はちょっとひきしめるような歩き方をしてみると少し楽に歩けた。

まあこんなことは前から分かっていて、気づいたらそのように歩いてみることもあった。しかし、何時間もそんなふうに歩いたことはなかったので、体が新たな歩行方法を覚えず、もとの悪い歩き方にもどっていたのである。ところが山などの辺鄙なところを歩いていると、なんとかして最後まで歩かざるを得えない。なんとか無理して歩いていると、すっと体に入る瞬間があった。拳法でもダンスでもいいが、身体操作でできない動きができるあの感覚である。神秘学的表現を用いるなら、表象が意志と結びついてエーテル体を変性させ、肉体を変化させることである。このような感覚は今までにも何回も体験したことがあるが、何度体験してもおもしろいものである。

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才能と神経症的生き方(2)

他人から見ればその人には全く向いてないのは明らかなのに、自分では向いていると思っている人はまず自己分析ができない人である。自己分析なるものが可能かどうかという臨床心理学的・神秘学的大問題はとりあえず言及しないでおくが、通常はその仕事をしていてうまくいかなければ「自分に向いているのだろうか?」と自問自答するはずだ。こういう疑問が湧かないのは、天性の才能を持っていて苦労が自然と報われる天才か、全く向いてないのにそのことが分からない神経症的人間かのどちらかだ。後者の場合、貧乏でも自分で生きていけるのならそれも人生だが、もっと違う生き方があるんだということを知ろうとした方がいい。でも多くの人はその勇気がないんだよね。

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才能と神経症的生き方(1)

確定申告の季節だ。あとは印刷するだけでほっとしている。治療院を始めてからなにからなにまで一人でやっているのだが、会計処理だけは苦手である、というかまったく才能がない。青色申告ソフトは弥生会計を使っている。現金出納帳・預金出納帳・買掛帳・売掛帳を正しく入力すれば申告書を印刷してくれるところまでやってくれる。とても便利で助かっている。ソフトが確か3万円くらいだったので、かなりコストパフォーマンスが高いと思う。

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『鍼灸の挑戦』 鍼灸関連のお勧め本

『鍼灸の挑戦』という本を読んだ。患者さんに「鍼灸について何か良い本はありませんか?」って聞かれることがある。専門書や哲学・思想書を読むのになれている人向けの本なら良書がいくつかあるが、ややこしい本をあまり読まない方にお勧めできる本はほとんどない。鍼灸は近現代、重視されれなくなってしまった医療だからしかたがないのだが。ところが最近の代替医療ブームで、ふたたび注目を浴びだして、一般向けの本を書いても採算がとれるようになるだろうと出版社が判断したのか・・・

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暗峠越え、奈良街道ハイキング

今日は暗峠(くらがりとおげ)に出かけた。本当は葛城山に登ろうと思っていたのだが、五時頃目が覚めると雨だったのであきらめて遅くまで寝ていた。7時過ぎに起きたときには雨がやんでいたが、また降るだろうと思ってまた寝た。30分ごとぐらいに何度か目が覚めたが雨が降っていないようだ。空を見たら晴れ間もある。やっぱり歩きに行こう思い、駅から歩いてすぐ、歩行時間3時間くらいのところをしばし思案。ということでまだ行ったことがない暗峠を選んだ。時間が余りないときはこういう思いつきハイキングをよくする。

奈良の近鉄南生駒駅から、暗峠を経て東大阪の近鉄枚岡駅までのルートだ。峠にある説明版によると、昔この道は奈良街道と呼ばれていたようだ。大阪の玉造二軒茶屋から河内平野・豊浦を経て生駒山まで全長34キロの街道だったという。34キロならがんばれば1日で行ける距離だ。<日本の道100選>に選ばれているそうだが、舗装された道ばかりで全然面白くない。昔は田んぼや畑を抜けて、大阪平野を見渡せるいい街道だったのではないかと思う。「昔はこんな風景だったんだろうか?」と歩く瞑想をして帰ってきた。

ハイキングとしては収穫は何もなかった。暗峠で150円の梅干しを二袋買ったくらいか?

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『遊行と巡礼』 五来重著(2)

五来重先生の『遊行と巡礼』の冒頭に次のような一節が出てくる。

 中世や近世の農民が、一生涯、土地に緊縛された過酷な労働の救いを、伊勢詣でや金比羅参、西国巡礼や四国遍路に求めたのは、非日常をもとめるという宗教的行動の一つであった。
 宗教といえば神や仏への絶対的帰依といったり、唯一者だの超越者だの、解脱とか涅槃とか回心とか、どうして宗教をこんなに固苦しく、七面倒くさいものにしてしまったのだろう。これは少数の支配者やエリートが、愚昧なる庶民をだましたり、こけおどしをするための詐術だったに違いない。ところがそのようなエリートは宮殿や大伽藍、僧院などに閉じこめられ、緊縛から絶対にぬけ出すことはできなかった。

私は10代後半に瞑想を中心とする「行」に興味を持ち研究を始めた。今年40才になったので、紆余曲折を経ているとはいえ20年以上も研究を続けていることになる。20代前半、大学で仏教学やインド哲学を専攻していたときも、シュタイナーの人智学を研究していたときも、二方向の宗教的実存について悩んでいた。ひとつは純粋に教理的なものが自分の宗教的実存とどう結びつくかということであり、もうひとつはそれがこの社会にどういう意味を持つのかということであった。

そんなとき五来先生の本を読んでひらめくものがあり、近畿の修験の山を歩くようになった。近畿の山のほとんどが山岳宗教とむすびついている。山がもつ霊力、いにしえの宗教家が行をした場所に残る霊力をもとめてずいぶん修験の山を歩いた。修験の山を歩きながらずいぶんいろいろなことを考えた。それは一種の歩く瞑想だった。歩く瞑想をしながら大学の学問の中には宗教的実存はないのだろうという考えに至った。

大学で仏教学を専攻したのは僧侶になりたかったのだが、卒業する頃にはそういう思いはすっかり消え去っていた。

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『遊行と巡礼』 五来重著

昼休みに古本屋に行った。本日の収穫は『遊行と巡礼』(角川選書 五来重著)だ。購入価格は300円。

五来先生は大学時代の恩師の一人だ。日本に宗教民族学の基礎を作った一人で、山岳宗教が専門だった。日本仏教学の研究対象は、教理や寺院・教団の研究が主だ。昔のお坊さんは、いまでいうと国立大学の教員や公務員に相当するような職業で、従来の日本仏教学はそういった人たちの業績を研究するのが主だったのである。ところが五来先生の研究の方向性はそういったものと全く違っていた。日本に仏教文化を大きく花開かせたのは、僧侶たちの業績以上に彼らの仕事を支えた庶民の宗教者たちの宗教活動があったからだというのが、五来先生の研究上の信念だった。

私はその研究姿勢に感銘を受けて、1年間だけど五来先生の授業を受けた。五来先生は歴史学者だけあって、非常に記憶力と分析力があって頭の回転が速い。聴講するだけでも大変だった。先生は当時80才近かったと思うが、読んだ本や資料のどこに何が書いてあるかほとんど覚えていて、それが有機的に繋げることができる、驚異的な思考力だった。かといって、書斎に収まっていた人ではなく、みずからの足で日本全国のの史跡を調査したり、修験者となって入峯修行をしたりしていた根っからのフィールド・ワーカーだった。

先生はおおらかで学者然としておらず、非常に人気があった。フランス人女性の受講生までいた。私も先生の研究姿勢とその業績に深く感動し、いろんなかたちで影響を受けている。

『遊行と巡礼』という本は五来先生の研究の一端を一般の人向けに書いた本だ。修験道やお遍路なんかに興味のある人はおすすめ。目次を記しておこう。

  第1章 歩く宗教
  第2章 巡る宗教
  第3章 西国巡礼の成立
  第4章 四国遍路と辺路信仰
  第5章 紀伊の辺路と熊野詣

研究分野は全く違うが、万葉学者で著名な犬養孝先生の研究姿勢と似ていると思う。犬養先生も万葉集が読まれた場所をひとつひとつあるいて研究の礎とされ、多くの万葉集愛好家を育てられた。

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マーガリン、ショートニング 心臓病だけでなく痴呆の引き金にも

以前マーガリン・ショートニングの害について書いたが、2chを見ていたらこんなスレが立っていた。
マーガリン、ショートニング 心臓病だけでなく痴呆の引き金にも

リンク先は5/14の日経BPの記事
マーガリンのトランス脂肪酸が痴呆の引き金に

この記事の情報源

これは、米国シカゴ近郊に住む65歳以上の住民8500人を、長期間追跡した「CHAP」(Chicago Health and Aging Projects)研究の結果。米国神経学会が発行する学術誌、Neurology誌5月11日号で発表された。

日経BPの記事を読んでみたが、マーガリン・ショートニングの害については積極的な説明をしていないし、欧米では禁止・あるいは制限している国が多いことは書いていない。これはやはり食品メーカのスポンサーにクレームをつけられるのを避けるためか?

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乳児の下熱治療

4ヶ月の息子が発熱した。昼間に最高37度8分くらいまで上がっただけで、午後9時頃帰宅したときには、36度台まで下がっていた。しかし頭部を触診すると前頭部と側頭部が少し熱い。漢方的には陽明少陽の合病といったところだろう。最近疳虫が強いので、それにカゼが乗じたらしい。内側に熱が残っていて、また発熱しそうだ。

指先二カ所から瀉血、側頭部に接皮(皮膚表面に少し鍼を刺す)してやるとすっかり熱っぽさが取れた。子供の治療は少ない刺激で変化が激しいので面白い。まだちょっと疲れた感じがあるが、たぶん大丈夫だろう。疳虫君はまだいついているが・・・

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腰痛の原因解明は困難

腰痛が出たので病院に行きレントゲンやMRIを撮ってもらったら腰椎の変形やヘルニアがあると言われたので、医師の指導する治療を始める・・・ということに疑問を持つ患者さんはほとんどいないだろう。しかし医師本人やコメディカル、治療家の間では真に受ける人は少ないんじゃないかな?

加齢とともに腰椎の変形やヘルニアなどはかなりの確率で出現するが、それが痛みそのものとどう関係しているのか不明なことが多く、通常の医療現場では「痛みとその原因を特定することはほぼ不可能というのは常識」といえば、一般の患者さんはビックリするだろうか?

腰痛の原因として多い腰椎の変形・軟骨の変性・ヘルニアなどは加齢とともにかなりの確率で出現するが、痛みを伴わない人も多い。また、ひどい腰痛が治っても、腰椎の変形やヘルニアはそのままということも日常的に見られる。ヘルニアの手術を受けても腰痛が取れないというのも少なからずある。

まあ、こういうのは我々医療関係者ではあたりまえのことなんだが,今まで患者さんにはこういうことをあまり伝えていなかったであろう。

YOMIURI ONLINEの『医療ルネッサンス』というのを時々読むのだが、3/16~3/23日の「腰痛治療はいま」という連載で、そのあたりのことについてとりあげられていて、なかなか愉快だった。

特に3/17付の「困難 痛みの原因解明」という記事。こういう記事が書かれると、漫然と牽引や温熱治療で来院するするように勧める開業医や接骨院の柔整師は困るんじゃないか?まともな患者なら「そんな治療はムダ」というのを知ってしまうのだから。

牽引や温熱治療は人手も経費もほとんど使わずに保険点数上げる治療(?)。治療にプライドを持っている医者や治療家はそんことしない、というのを患者さんも知っておくべきですね。

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マーガリン・ショートニングは毒物

こういうことはある程度知っていたんだけど、最近考えることがあって、ヤフーで「マーガリン 害」とキーワードを入れて検索をかけたらたくさん出てきた。


YAHOO! 「マーガリン 害」
電子メールマガジン◆現代栄養学と健康案内◆第6号
トランス型脂肪酸の害-1

私は潰瘍で胃の手術をしているのだが、病気になってから、悪い油脂類にすごく反応するようになった。全身かゆみが出たり、花粉症の症状が出たりする。

マーガリンって少し多めに食べるととたんに反応してしまう。YAHOO!で検索してできたHPをいろいろ読んでいると、他の先進国ではマーガリン類を毒物として使用禁止にしている国がけっこうあるようだ。

そこで思い当たったのだが、ヨーロッパから輸入しているビスケットはほとんどマーガリンではなくてバターを使っている。以前にそことに気づいたとき、ヨーロッパではバターが安いからかな?と思った。パリに行ったとき、バターやチーズが安いのにはびっくりしたくらいだったから。日本でクッキーやケーキにバターを使わないのはヨーロッパに比べてかなり高いからだと思っていた。

でもどうやらこれは事情が違うらしい。クッキーにバターが使われていないのは安いからではなくて、毒性があるので禁止されているからではないのかな?

外国ではマーガリン類に毒性があるために禁止されているのに日本ではなぜ禁止しないかというと、食品産業界に大きな影響があるためという、国民の健康を無視した経済性にあるからだろう。マーガリンや、ショートニングを使っていない、クッキー、ケーキ、レトルトカレー、レトルトハヤシライスはほとんどないよな。

日本には自分の頭で考えることをしない国民が多いと常々思っている。情報操作されたマスコミの情報だけを信じて、問題意識をもって行動する人が少ないよなあ。

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『心療内科医のメルヘン・セラピー』その4

『心療内科医のメルヘン・セラピー』の14ページから15ページにかけて、中川先生は次のように続けて書いている。

ところが、ナラティヴセラピーでは相談者の話に興味を持って、物語として聞こうというのです。物語として聞くというのはどういうことかといいますと、ストーリーに興味を持って聞く。真実か真実でないかの判断はそれほど大事ではないといいます。M・ホワイトというこの流派の学者が、こんな風にいっています。
「人は解釈する生き物だといいたいのです。つまり私たちは人生を生きるとき、ストーリーという枠組みのなかで積極的に自分流の解釈を行います。そして自分の物語を作り上げていきます。」

これはフロイトが作った精神分析流のような仮説構成体を理論として「どうしてそのような解釈が生まれるのか」といった原因論的視点で人と関わるのではなく、今目の前にいる人が「どのように世界を解釈しているか(構成しているか)」といった構成主義的な視点で関わろうというのである。

私が人間の心理を理解するのに原因論的な考え方に批判的なのは、それが本当かどうか検証できないからだ。ある小学生の暴力的な行為の原因に乳幼児期の母子関係や父子関係をもってきたりしてみても、それは検証できないだろう。

しかしその小学生と話をして、「どうして暴力的な行為をしたかったのか」という話を聞き出せれば、暴力的行為の理由の真偽はどうであれ、そのように世界を解釈しているという事実は観察できる。暴力的行為を止めさせる(いや、しなくなるといった方がいいだろう)には別の世界解釈ができるようにつきあえばいい。

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『心療内科医のメルヘン・セラピー』その3

『心療内科医のメルヘン・セラピー』の14ページで、中川先生は次のような記述をしている。

これまでは心理治療者というのは専門家という枠組みのなかで、相談者のストーリーを聞くとそのなかから問題の核心を探り出し、まるで優秀な外科医がメスで病巣をえぐり出すように問題を解決してあげるというのが彼らのやり方でした。

これはおそらく精神分析などを念頭においているのであろう。人間の心を「外科医がメスで病巣をえぐり出す」ことができるなんていうのは、心理臨床家自身の心の投影にすぎない。だって外科医がメスでえぐり出す対象に実体はあるのだが、心の実体は観察できない。観察できないものにさもあるかのような概念をつけるのは、その人の心理的投影にすぎない。

たとえばフロイトがいうような無意識・前意識・意識、イド・自我・超自我、という概念は科学的に証明できないものだ。たんなる仮説構成体にすぎない。それは宗教教義と構造的にはなんら変わらない。

インド仏教には伝統的なアートマン説を取り込んだ唯識派の根本概念のアラヤ識や、如来蔵思想の仏性などという概念がある。これは意識の形而上学的実体なのだが、こういうものを持ち出してきてもそれが科学的に証明できるものではない。先のフロイトの概念はこういったものとなんら変わりはないではないか?

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『心療内科医のメルヘン・セラピー』その2

前々回で「心理療法って結局は宗教の構造と同じだということだ。」と書いたが、別に心理療法に批判的なのではない。私などは10代の頃から宗教や神秘学にどっぷりつかっていたから専門家ではなくても、いや、専門家ではないから客観的に心理療法の基本的構造がよく見えてくるのだろう。

ようするに次のようなことだ。人はそれぞれ固有の物語を持っている。その固有の物語はその人が住んでいる地域や生きている時代に特徴的な思考方法・行動様式(文化)に影響を受けて形成される。その形成された物語が、住んでいるところの文化や自分自身の理想像とかけ離れてしまったところに、心理的異常が起きる。そこでその治療法は?ということになる。それはその固有の物語を自己理想に近づけるか、自己理想を物語の方へ近づければいいことになる。自己理想を形而上学的概念に設定すると宗教になるし、形而下的概念に設定すると心理療法になるのだろう(ちなみに後者の方が簡単だ)。

で、メルヘン・セラピーなのだが、メルヘン・セラピーの基本的な治療構造というのは人が持っているゆがんだと自覚する固有の物語を、メルヘンを読むことによってより自己理想に近いものに変容させるということなのだろう。そこで中川先生はこの本で11のメルヘンを用意してみた。このメルヘンを読者自身の意識の問題として読み込んでいくと、その人固有の物語が変容するかもしれない。中川先生はそれをねらっているのじゃないかな?

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『心療内科医のメルヘン・セラピー』その1

『心療内科医のメルヘン・セラピー』(講談社)という本を読んだ。著者の中川晶先生はいろいろな心理療法の流派の効果を研究している心療内科医だ。昨年中川先生の講演を聴いたが、大阪生まれで落語家みたいな話し方と、ひとつの流派にとらわれない広い観点からの話に大いに感激した。この本も漫談調に書かれていながら、心理療法の核心部分と実際の治療に結びつくような11話のメルヘンが書かれている。読者の知性が試されるような鋭い本だ。

中川先生の師匠の故頼藤和寛先生や、その親友である野田俊作先生の文章がとても好きで、目についたら欠かさず読んでいる。先生方の文章を読んでいて分かったのは、心理療法って結局は宗教の構造と同じだということだ。つまり人間の精神についてある形而上学的概念(各心理療法の流派の基礎理論)を設定し、セラピスト(宗教家)はそれにもとづいて人間を分析したり操作したりする。患者は自分にあった宗教(治療法)を選択し、それを信仰すれば救われるし(治療効果がある)、信仰なければ救われない(治療効果がない)。このあたりが本来の医学とは違うんだな。科学的とはいえなくて、心理療法は、中国医学なんかの治療構造と同じなんだな。

ところが中途半端な心理療法の専門家の文章を読んでいると、そのことが分かっていなくて、じぶんたちは内科医や外科医のような科学的な考え方にもとづく治療を行っていると信じているようだ。このあたりも宗教家と同じ発想だな。

頼藤先生の愛弟子だった中川先生も心理療法が一種の宗教と同じ構造という前提に立って治療しているらしく、この本の「はじめに」と終章では心理療法の欺瞞性と治療効果について、結構詳しく書いている。素人向けの本にそんなこと書いていいのか?って心配になるほどだ。

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朝の瞑想

いつも診療前に掃除をするのだが、最近その後に瞑想的な本を読んで瞑想を始めることにした。

去年までは、朝イチの患者さんがいないときは、掃除の後にパソコンに向かってメールのチェックをしたりして、患者さんが来院されるのを待っていた。しかしこれだと患者さんが来られても、精神的に余裕を持った応対がしづらくなることに気づいたのだ。患者さんを診療する前に瞑想的な本を読んだり瞑想したりする方が精神的な浄福感に満たされて治療を始められるから、患者さんとよりいい関係が持てるような気がする。

最近、尊敬するある精神科医の日記を読んでいたら、お経を読んでから出勤するという。そういえば私も20代の頃は般若心経や観音経などのお経を読経してから出勤していた。忙しくてもそういう精神的に余裕を持って出かけた方が良い仕事が出来ていた。

私も般若心経を読んでもいいのだが、いろいろHPを物色していたら、パーリー語のお経が書かれたページを見つけた。パーリー語は南アジアに伝搬した上座部系仏教で使われている言語である。HPにはお経とお坊さんの読経の音声まで収録されている。これはなかなかいい。

肝心のHPだが、これは日本テーラワーダ仏教協会のHPにあるパーリ語日常読誦経典である。

パーリー語は大学時代に習った。三帰依文くらいは覚えていたが、他は10年以上経つとすっかり忘れている。文法書を引っ張り出してきて思い出してから、朝に読経してみようか。

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練功で腰痛?

診療時間中に、患者さんが途切れることがあって、よく気功や功夫の練習をする。昨日もそういう時間があったので、斧刃脚の練習をしていた。斧刃脚とは両足を揃えて屈伸し、相手の下腿を足裏で蹴るよう動作である。

いつもは高架(高い姿勢)でやるのだが、すこし慣れてきたのでいつもより低架(低い姿勢)でやってみた。関節や筋肉への負担具合が「練習している!」って感じでなかなかよかった。

ところがである。練習直後はなんともなかったのに、夜になって腰痛が出た。ぎっくり腰かと思ったが、痛み具合を診ていると斧刃脚で負担になっている関節・筋肉が痛い。自分で鍼を打ったり自力整体をして寝たが、朝起きてもやはり痛い。今日は日中ずっと痛かった。

夕方になって鍼の師匠に電話したら「そらあ腎虚やろ。寝不足ちゃうか?」って言われた。まあ確かに最近家族の事情で寝不足である。「両方の臨泣に深く鍼を刺して響かせろ」というアドバイスを受けた。臨泣というのは足の甲の外側にあるツボである。刺して1時間くらい昼寝をしたらずいぶん楽になった。

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栄養教諭の創設

今日の新聞によると、国の中央教育審議会が全国の小中学校や盲・聾・養護学校などに、適切な食習慣を指導する「栄養教諭」なるものを作るそうだ。マナーやどういう食事をすればよいか、地域の食文化などを教えることになるようだが、実際にどういう内容を教えることになるのか、詳細はよく分からない。

こういうことを教える人が学校内にできること自体は歓迎するが、問題は中身である。栄養指導を、現代栄養学にもとづいて行うことに、私は反対である。ここでいう栄養学というのは、栄養士を養成するような学校で教えられている栄養学である。あれは食品の成分分析とその効用にもとづくものだが、最大の欠点はだれが・どこで・どのように食べればいいのか?という発想がないことである。

たとえば最近私のヨメさんが出産で入院していたが、朝食はパンに果物、おやつに甘ったるいケーキなどが出てきて腹立たしい思いをした。日本人の大部分にパン食は合わない。日本人にはパン食はつまりやすくて胃腸に負担がかかりすぎる。これは中国医学的な診察をしている人ならよく知っていることだ。日本でパン食するようになって200年も経ってないと思うが、パン食に適応するようには日本人の体は遺伝的になされていないのだろう。

果物は基本的に冷えるので、出産で体力を消耗し出血した産婦にはよくない。特に季節はずれや外国の果物など、季節はずれの果物は論外。産婦の基本は体を冷やさないことなにね。冷え性の産婦が食べると産後の肥立ちがわるくなるよ。

ケーキを初め、白砂糖のたくさん入った食べ物は血糖値の変化が激しくて食欲のコントロールが難しく体重増加を招きやすい。胃腸にも負担がかかりやすい。太り気味の人には要注意。

私が潰瘍で入院したときも流動食にアイスクリームや柑橘類のジュースが出てきてびっくりしたことがある。潰瘍にそんなものは厳禁だよ。

そもそも日本の大学で教えている栄養学はかなり古いもので、今では否定されているものもたくさんある。たとえば胃粘膜の修復に適量のトウガラシが有効なのだが、古い栄養学では胃炎や潰瘍のある人に、刺激物は禁物ということで、トウガラシもその中に入っている。代替医療の研究で有名なハーバード大のアンドリュー・ワイル博士の著作を読んでいるとそのあたりのことがいろいろ書かれていて、日本の栄養学と比較すると面白い。

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味覚の劣化(2)

昨日は「ジャンク・フードみたいなまずいものをなぜ食べるのか」といったが、実は私は1~2ヶ月くらいに一度、非常に食べたくなる。どういうときかというと、ストレスがたまってキリキリしているときである。中国医学ではこういう状態を肝鬱がたまるという。肝鬱がたまったときにジャンク・フードを食べたくなるのはなぜだろう?うーん、わからん・・・・

ジャンク・フードの代表格は牛丼とハンバーガーだと思うが、モスバーガーのフレッシュバーガーはお気に入りだ。肉が他の店のよりもいいからだ。マクドナルドの肉は、最低だね。値段が品質に反映しているわけだからしかたない。

そういえばこのあいだKUA'AINAという店で食べたハンバーガーは旨かった。ハワイで有名なハンバーガーレストランの大阪店で、USJの前にあるユニバーサルシティウォークにある。ここのハンバーガーはモスのフレッシュバーガーを遙かにしのぐ。だって値段も倍以上するんだもの。ボリューム満点でひとつ食べたら満腹になった。

まあ私は健康原理主義者じゃないね(苦笑)。

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味覚の劣化

当院では初診の時に詳しく問診をする。症状だけでなく、どういう生活を送っているかをたずねるわけである。これは中国医学では病気の原因と治療に、生活習慣を重要視するからだ。

西洋医学的にはあまりはっきりした原因はわからないが、体調が悪いという人は食生活が悪い人がとても多い。特にコンビニ弁当やファーストフードで済ましている人が多い。ちなみにそういう食べ物って、英語ではジャンク・フードっていう。栄養がほとんどなくて、カロリーだけ高いことからそう言われるらしい。

無農薬有機栽培の食物云々の話はここでは置いておくが、何を好んでああいうまずいものを食べようとするのか?食というのは生命の根本であり、味覚がそれを支えている。味覚の劣化は生命力が弱まっていることだと思う。

ちなみに、主訴を悪化させている大きな原因のひとつに食生活を指摘すると、次から来なくなる人って結構多い。生命力が弱いんだなと思う。

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鍼灸業界のトンデモ理論

『医道の日本』という鍼灸の業界誌がある。戦前からある息の長い雑誌だ。おととい新年号を買った。毎年、新年号には業界を牽引する人たちの一言挨拶が掲載される。今年は100人近いだろうか?それぞれが関心を持っていることや、どういう仕事をしていることなどを書いているのだが、400~800字くらいの文章とはいえ人柄が出ていて面白い。

特に面白いのは大学や学会などから離れてこつこつ古典を研究してきた人の文章だ。大学の研究者(医学・理系・文系含む)や医師などは高度な学問的訓練を受けているので、しっかりした考え方をしているのだが、そういうところから離れて治療院を構え、臨床をしながら古典研究をしている人は、かなり「トンデル理論」を書いていることが多い。

中国医学の古典は自然哲学の一種なので、かなり哲学的に「構成」されたものだ。一種の物語といってもいい。多くの古典は事実と関係づけて構成されているのでそれなりに説得力があるのだが、現代の我々が読むときには謎解きの部分がかなりある。その謎解きの部分がトンデモ解釈を生み出す。現代科学と関連づけて書いたりしていても、我田引水というかトンデモ曲解してトンデモ理論を補強する。

さらに、業界にはこの手のトンデモ理論をころっと信じてしまう人間が多い。これは現在の教育制度にあるのだろうな。もっと統計学とか科学哲学・EBM・現代思想といったものをカリキュラムに取り入れて、迷信に陥らない訓練をしないといけないだろうね。

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瞑想の論文

今日、蔵書を整理していたら、大学の時の卒論が出てきた。インド六派哲学のひとつ、ヨーガ学派の根本経典『ヨーガ・スートラ』の瞑想体系について論じたものだ。サンスクリットの原書と訳書を対照させながら、四苦八苦して書いた。

今から15年以上前の日本では、『ヨーガ・スートラ』関係の訳書や論文はかなり限られていた。それらの研究でも瞑想の内実について深く掘り下げたものはほとんどなかった。これは実際に本格的な瞑想をしている研究者が少なかったからだ。

『ヨーガ・スートラ』に関わらず宗教の瞑想経験の理論書というのは宗教の核心的なものだ。そういった文献を実践せずに研究しても、体験に裏付けられてないので、基本用語の内実からして理解できない。そういった状態で論文を書いても字面を追っただけの薄っぺらいものになるか、「書かない方がまし」ということで、この手の研究論文が少ないのだろう。それにあまり実体験の濃い論文を書いても評価されないという学会の事情もある。宗教学者の中沢新一氏の『虹の階梯』なんてのは、修行者から見たらかなりの名著だが、学問的には評価されてない。実践者からすると『虹の階梯』の方が、体験にもとづかない論文よりずっと有益だ。

当の卒論だが指導教授には全然評価されなかった。文献学的操作が全然できてないからね。卒論書いていて文献学的なセンスがないことがよく分かった。ただ内容に関してはいいセンスだったと思っている。基本的な考え方は今も変わっていない。

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えべっさん

昼休みに買い物に出かけたんだが、途中でなにやら屋台が並んでいた。はて?と思ったんだが、そういえば今日は堀川えびすの宵宮だったことに気づいた。大阪では1月10日は商売繁盛の神様をお祭りする日なんだね。近畿以外ではあまりそういう風習がないそうだ。商人の街、大阪たるところかな?

一応商売をしているので、私もお参りに行って来た。お参りといっても、何か特別なことをお願いするわけではない。

事業をやっていてそれを継続しつづけることができるのは、経営者の才能や努力以前に、なにか大きな力が働いているような気がしている。事業を継続できる縁みないなものが向こうからやってくる。そんな感じだ。天職についている人はみなそうじゃないかな?

まず本殿の前で二礼二拍手一礼をする。大きな力に守られていることを感謝して、その状態が続くように努力することを誓って帰ってきた。

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ニューエージ思想とトランスパーソナル心理学の思い出

渉雲堂さんのココログを見ていたら、トランスパーソナル心理学を取り上げていた。なんとも懐かしい言葉だね。

わたしが大学生の頃、某新興宗教系の仏教教団の出版部が『アーガマ』という月刊誌を出していた。創刊したての頃はその教団の宣伝機関誌だったんだが、途中から、ニューエージムーブメントの雑誌に変身?してしまった。

神智学や人智学などの西洋系のニューエージ思想から始まって、クリシュナムルティ、ラジニーシ、超越瞑想、チベット仏教、秘教系のヨーガ、ニューサイエンスなどとともにトランスパーソナル心理学も盛んに紹介していたんだよね。

毎号テーマを決めて特集記事を組み、編集長とゲストスピーカーの対談というかたちを取っていた。よく呼ばれていたのが、トランスパーソナル心理学を日本に紹介した吉福伸逸氏だった。アメリカのニューエージムーブメントの本拠地、カリフォルニア大のバークレー校に留学(だったか?)から帰国て活動を始めたころじゃなかったかな?かなり前衛的な心理学的実験をやってトランスパーソナル心理学の中心的な場所だったエサレンの研究所でも勉強していたんじゃなかったか?

ちなみに日本では大本教や天理教などの近代の教派神道や古神道系の秘儀、大正から昭和初期あたりのスピリチュアリズムなんかもテーマになっていた。

論文や記事がどれもレベルがすごく高かった。高名な仏教学者だった故中村元先生の『ヨーガ・スートラ』のシャンカラ註や、私の大学の先生だった故五来重先生の『修験道の諸相』、東洋大学の金岡秀友先生の密教論なんて硬派なものもあったねえ。

『アーガマ』はニューエージ思想に関心を持っていて知的なところから「ワーク」を始めた人間はこぞって読んでいたらしい。

あのころのニューエージ系の文献ってかなり中身の濃いものばかりだった。みんなそこそこ頭が良くって、時代の先端を行く思想に敏感でそれをよく吸収していたんだね。

大型書店に立ち寄ると、ニューエージ関係のコーナーで新刊本や雑誌を手に取るが、まあ中身が薄いこと。気功だのヒーリングだのあの手の本は格段にレベルが下がっているんじゃないかな?

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CTスキャンで変死体検視

変死体の検死って目視や触診で行われているようですね。これが結構いい加減で、警察の思惑で検死の内容が捏造されているようです。要するに警察の捜査資料って彼らの思惑でかなり意図的に作り替えられたりしているということです。

H16年1月5日、朝日新聞社のHPasahi.comの社会面からの引用。

■CTスキャンで変死体検視 千葉大と千葉県警が試行
千葉大法医学教室の岩瀬博太郎教授の研究室が5日、千葉県警の協力を得て、県内で発見された変死体を移動可能なCTスキャンで検視する試みを始めた。変死体が見つかった場合、検察官や警察官は殺人か自殺か事故死か、などを判断して司法解剖するかどうかを決める。 (中略) 検視官と警察の委託を受けた医師が写真などをもとに死因を判断。同じ変死体について、目視や触診だけで判断した場合と比較する。

変死体の検死って目視や触診で行われているようですね。これが結構いい加減で、警察の思惑で検死の内容が捏造されているようです。要するに警察の捜査資料って彼らの思惑でかなり意図的に作り替えられたりしているということです。

裁判で採用されるものでも、信憑性が欠けるものが多々ありますが、裁判官も彼らの仲間ですからよほどのことがない限りそれを採用しちゃうようです。新聞やテレビ・雑誌などは、情報を彼らからもらっているのでなかなかそこままで糾弾しません。当局を糾弾するような根性のあるマスコミは絶滅しつつあります。

ところがインターネットでは当局としがらみがない人でもHPを立ち上げたりできますので、警察の被害にあった人がHPを作っていたりしています。私はそういうのを読むのが結構好きなのですが、検索をかけると結構出てきますよ。
作家の宮崎学氏のHPで最近とりあげられた「特集ぼおるど事件」も警察の悪行を曝露した面白い記事です。

このasahi.comの記事にあるようなことが義務づけられて、関係者に公開する権利を法的に認められたら、もうちょっと警察も浄化されるんじゃないでしょうか?

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練習初め

昨年から、月に一度ほど、中国武術の個人指導を受けている。もともと気功や武術の基本訓練みたいな健康法的身体技法を学ぼうと思ってある武術家に相談したら「まあ、それなら私が武術の基本を教えてあげよう。それをもとにし、中国医学と関係づけていろいろ研究したらいいでしょう。」とのアドバイスをうけたのである。

今までいろんな分野の師匠と出会い教えをうけたが、出会いはみんなこんな感じだった。どの分野の師匠も無名だけど技術は超一流だった。占星術によれば私には師匠運があるという。

今日は練習初め。師匠の指導はかなり細かくて厳密である。私は運動能力が極端に低いのでなかなかキツイ。今回は新しい套路(動作の流れ)を習ったので、順番を覚えるだけで精一杯。次回までに何度も練習して細かいところまで意識できるように功を練らないとね。ひとつの動作を完成させるにも長い時間と工夫が必要だね。

武術の訓練の面白いところは日常では絶対にしない体の使い方をすることだ。そうやって体さばきをしたり力を出したりする。左右の肋骨を別々に動かして力を出す方法とか、胸膈と肩を分離させて動かすとか、手技療法をやる治療家としてはすごく面白い。力の使い方ひとつをとっても、力ずくというのではなくて、効果的な力の出し方というのがあるんだね。そういうことを覚えて日常生活でも役立てようといろいろ試してみると、日常生活でも体の使い方が変わってきた。ケガをしなくなったし動作に無駄が少なくなってきた。

学校の体育で柔道や剣道を今でもやっているのだろうか?医学的知識をからめて教えるととても面白いしためになると思う。

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神の宿る土地

大晦日の日にも書いたように、パートナーさんが臨月なので今年の正月は遠出をしないことにした。代わりにといってはなんだが、近くの神社へ初詣に行って来た。ここはこの地域を守っていらっしゃる神々をお祭りしている神社だ。小さくてもそこそこの参拝者が来ているが、ご神殿を前にして何を感じているのだろうか?ただお願い事をして帰るだけなのかな?

神道は本来、他の有名な宗教と違って特定の教義を持っていない。ご神体は山や瀧、磐座(いわくら:神様が降臨する岩)など自然の事物であることがほとんどである。これは、今よりも自然と密接な生活をしていた古代人が、自然の事物に神々の現れを直感したシャーマニスティックな意識に由来している。

今ではこういう意識がすっかり薄れてしまったけど、結構重要な意識じゃないかなと思う。人間は自然の恩恵を受けて生きていけるのであって、それを否定しては生きていけない。しかし人間は自然を破壊し続けている。そのうち環境破壊で人間自身が生きていけなくなってしまうんじゃないかな?

私は山へよく行くけれども、環境破壊がすごい。深い山にまでダムがあるし、生態系のことを考えずに植林するから動植物が住めない人工の自然になってしまっている山が多い。そんな山には神々が宿らないだろうね。

自然林の中でテントを張って一夜を過ごすだけで、人の手がほとんど入っていない自然が、いかに神々に満ちているかよく分かる。古代の人は身近にそういう自然があったのだから、自然に神々を見ることができたのではないかな?

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大晦日

今日は大晦日。今年はパートナーさんが臨月なので遠出ができず、家でテレビを見て過ごしている。

毎年大晦日は神社や寺、山に出かける。神聖な場所で新年を迎えたいからだ。神聖な場所で新年を迎えると心の皮が一枚はがれて、新しい自分に出会えるような気がする。そういう神聖な体験ができる場が大阪の下町にはなかなかないね。昔の日本ではどこにも鎮守の森があり、既成仏教にも生命が宿っており、どこででも人間と霊界を結ぶ神聖な場はあったのだろうなあ。

テレビはつまらない番組ばかりやっているな。小さいころは大晦日といえばNHKの紅白歌合戦だったが、現在ではこころに訴えかけるような歌がめっきり少なくなったので、あえて見たいとは思わない。今年の大晦日のテレビはなんといってもK1、PRIDE SPECIAL 男祭り2003、猪木ボンバイエの格闘技3本柱だろう。

PRIDE が一番放映時間がながかった。みどころは吉田秀彦-ホイス・グレーシー戦、桜庭和志-アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ戦だろう。吉田も桜庭も防衛一方で苦戦していたがなかなかいい試合だったんじゃないかな?

K1は曙-ボブサップ戦がメイン・イベントだったが、曙があっけなく惨敗。曙は相撲の横綱、ボブサップはパワーだけで技術あまりないファイターだが、ルールが違えばこんなにも差があるんだろうか?曙はおもいっきり張り手連発すれば勝てたような気もする。

今年はテレビを見ながら新年を迎える。

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仕事納め&来年の抱負

本日で今年の診療終了。今年の患者数・売り上げともに前年度よりやや増加。もっと増やしたかったところだが、不況でまわりの治療院はどこも患者数を減らしている。あまり欲張らずに、これで良しとしなければいけないかな。なにはともあれ、ありがたいことです。

以下に来年以降の抱負をいくつか。

まず治療院を再来年あたりにもう少し大きな場所に移転したいので、もっと患者さんに来ていただけるように作戦を考えないといけない。

来年の5月で40才になる。以前から40才になったら今まで自分がやってきたことをまとめて若手に伝えたいと思っていた。

柱は二本あって、ひとつは本業の中国医学。師匠から教わったのを、体系づける作業にとりかかりたい。先達たちは思想と技術を口伝で伝えて、こういう作業をしてこなかった。今の時代は口伝だけというのもいけないと思う。中国医学の技術は感性に依存している部分が大きくて、言語化は難しいけれども、ちょっと形あるものにしたいね。先達たちの技術を失伝しないようにしないとね。

もうひとつは東洋の瞑想と身体技法について体系だてたものを作りたいね。中国医学と人智学を融合させたようなものを目指したい。こういう作業をしている人は今のところ知らないので、手探りになるかもしれないけれども、いろいろ協力していただける方もできつつあるので、ちょっと本格的にがんばろう。

なにはともあれ、ちょっと勉強しないとね。

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